![](https://cdn-jp.dg1.services/6/54/3153/cL-269R46l1169r854z1.335046153846154/rogo.png)
![](https://cdn-jp.dg1.services/6/54/3171/o/%E6%96%B0%E4%B8%96%E7%95%8C.jpg)
新世界
昭和34(1959)年、瓢箪池の埋め立て跡地に、 楽天地の遊園 と東急グループが複合娯楽施設「新世界ビル」を設立。
夜空に浮き上がる新世界の五重塔が浅草っ子に親しまれていた。
室内遊園地やプラネタリウムなど、子どもの遊び場もあった。
![](https://cdn-jp.dg1.services/6/54/3170/o/%E4%B8%87%E6%88%90%E5%BA%A7.jpg)
万成座
昭和10 (1935) 年、 吉本興業直営の軽演劇 「万成座」 があった レヴュー団「グランテッカール」が専属としてレヴューや軽演劇の公演を行っていた。
グランテッカールの主なメンバ に、伴淳三郎、川田義雄、益田喜頓、 谷崎歳子などがいた。
![](https://cdn-jp.dg1.services/6/54/3172/o/%E5%8D%83%E4%BB%A3%E7%94%B0%E9%A4%A8.jpg)
千代田館
明治44(1911)年、大神楽で名を馳せた「明治館」の跡地に映画館「千代田館」が「日本活動写真株式会社」の封切館として開業。
その後、大正9年 「大正活動映画」、昭和36年 「新東宝の封切館」、昭和36年 「中映の成人映画館」を経て、昭和51年に閉鎖。
![](https://cdn-jp.dg1.services/6/54/3173/o/%E4%B8%89%E5%8F%8B%E9%A4%A8.jpg)
三友館
浅草オペラの「三友館」 が、 強制疎開で取り壊された(明治40 (1907)年~昭和19 (1944) 年)。
昭和26(1951)年、同地を東洋興業が取得し、ストリップ劇場 「フランス座」を開業。 「東洋劇 場」として、渥美清、 萩本欽一、 ビートたけしらを輩出した。
![](https://cdn-jp.dg1.services/6/54/3174/o/%E5%B8%B8%E7%A3%90%E5%BA%A7.jpg)
常磐館
大正期後半の「浅草オペラ」の時代は、 「根岸大歌劇団」の根拠 地「金竜館」跡地だった。
戦後は「浅草ロキシー映画劇場」、その後は「浅草松竹映画劇場」として松竹映画の封切館だったが、平成3年に閉鎖廃業し、80年の歴史に終止符を打った。
![](https://cdn-jp.dg1.services/6/54/3175/o/%E3%83%AB%E3%83%8A%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%AF.jpg)
ルナパーク
明治43 (1910)年、日本パノラマ館の跡地にアメリカの遊園地 コニーアイランドを模した日本初の遊園地 「ルナパーク」が あった。
高さ15メートルの人工滝と汽車活動写真館が人気だったが、残念ながら開業から半年後に火災により焼失した。
![](https://cdn-jp.dg1.services/6/54/3181/o/%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E9%A4%A8.jpg)
富士館
明治41(1908) 年にオープンした日本映画界初の株式会社映画館 「富士館」。
1,800人を収容する巨大な映画館であり、老若 男女が押し寄せた。
その後 「浅草日活劇場」と名称を変更し、 昭和48年に閉館。
跡地は、キャバレーとなった。
![](https://cdn-jp.dg1.services/6/54/3179/o/%E5%A4%A7%E5%8B%9D%E9%A4%A8.jpg)
大勝館
明治41(1908)年、映画館 「大勝館」 開業。
昭和20(1945)年、松竹歌劇団の復活で常設館となったが、 その後洋画ロード ショー劇場に戻り、 昭和46(1971)年廃業。
建物周囲を鉄塀で囲われた廃墟ビルとなり、長年放置されていた。
![](https://cdn-jp.dg1.services/6/54/3180/o/%E4%B8%87%E7%9B%9B%E9%A4%A8.jpg)
万盛館
「軽演劇 「有楽館」や、「キネマ倶楽部(河合キネマ)」の跡地。
戦後浅草喜劇界やテレビで一世を風靡した大宮デン助は、 ここ 「河合キネマ」という小さい映画館に出演して人気を得て、 吉本興業の東京の劇場に出演するようになった。
![](https://cdn-jp.dg1.services/6/54/3178/o/%E7%93%A2%E7%AE%AA%E6%B1%A0.jpg)
瓢箪池
昭和27(1952)年、浅草寺の五重塔再建資金を捻出するため、 瓢箪池を埋め立てた跡地の南半分を楽天地が取得し 「浅草宝塚劇場」を設置。
宝塚劇団の公演など、 東宝洋画系の映画館でありながら実演の興行も行われていた。
![](https://cdn-jp.dg1.services/6/54/3177/o/%E5%A4%A7%E6%88%90%E9%A4%A8%E3%83%BB%E6%B8%85%E9%81%8A%E9%A4%A8.jpg)
大成館・清遊館
「江川の玉乗り」で有名な「大盛館」は、 六区初期の見せ物小屋として、明治17 (1884)年に開業。
昭和2年、 隣の芝居小屋「清遊館」の敷地を併合し 「浅草新劇場」 「浅草世界館」 「浅草シネマ」の入る「浅草新劇会館」が創業した。
![](https://cdn-jp.dg1.services/6/54/3176/o/%E5%87%8C%E9%9B%B2%E9%96%A3.jpg)
凌雲閣(浅草十二階)・遊楽館
明治23 (1890)年、東洋一の高塔「凌雲閣 (浅草十二階)」が建っ ていた。
しかし、関東大震災によって崩壊し、跡地は吉本興業 の 「昭和座」、後に映画館 「浅草東映劇場」「浅草東映パラス」変 わったが、建物の老朽化も重なり平成15(2003)年に閉館。